近鉄名阪特急 アーバンライナーの思い出
近鉄名古屋線 霞ヶ浦ー阿倉川にて
僕が初めてアーバンライナーに乗ったのは高校2年の冬のこと。関西に引っ越した中学時代の友人に会いに行く時だった。
あいにくその日は大雪で、徐行しながらの運転だったので通常より1時間も遅れての到着だった。
携帯電話もようやく普及しだしてはいたものの、それでもまだ高校生の間では手の届かない代物だった。
一応遅れる事は車内電話で伝えたが、家を出てしまった後は伝える手段がなく、鶴橋駅に着いた時には彼はしびれを切らしていた。
それが初乗車だった。
その後、大学時代、社会人時代を通して、鉄道ファンでもあるその友人に会うときも、それ以外の用事の時も、大阪へ行くときは近鉄特急か東海道本線のどちらかで、新幹線は使わなかった。
あのアーバンライナーの快適性がすっかり気に入ってしまったのだ。
お金があるときはと、学校の長期休みでない時期は近鉄、夏休みや冬休み、春休みなど、青春18きっぷが発売される時期は東海道本線の新快速乗り継ぎといつしか決まってきた。
快適性では特急電車ではアーバンライナー、一般車ではJR東海の311系(後に313系)やJR西日本の221系(後に223系や225系)新快速がお気に入り。どれもほぼ同世代の車両だ。
後にアーバンライナーは最高運転速度が130km/hに引き上げられた新車、NEXTが登場。従来からの車両もそれに合わせて最高速度が引き上げられて内装もリニューアルされてアーバンライナーplusと改められた。
それでもあの静粛さと快適さは全く変わっていない。静かにまるで滑るように走るその空間は眠りを誘う。
最初は車窓から風景を眺めていてもいつしか眠りに落ちてしまうのがいつものパターンだ。
時代は下り、名阪特急の主役は80000系、ひのとりとなった。
こちらはまだ乗った事はないが良い車両と聞く。
ぜひ乗ってみたいものだ。
そして、デビューから30年以上が経過した21000アーバンライナーも走り続けて欲しい。
弥富駅付近を走る
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117系の思い出
117系は僕が最も好きな国鉄型車両のひとつである。JR西日本車とJR東海車があるが、ここでは東海車について書きたいと思う。
東海道本線名古屋口に117系が登場したのはまだ私が幼稚園位の頃だった。国鉄時代の当時、岐阜ー豊橋は殆ど名鉄の独壇場で花形の7000系パノラマカーが大活躍していた。
そんな中、老朽化した153系の後継車として東海道本線名古屋地区に投入されたのが117系だった。
クリーム色の車体に茶色の帯。特急電車みたいでかっこよかった。
近郊形ながら2ドア転換クロスシート。空気ばね台車のDT32、TR69を装備して乗り心地も上々。115系や165系のようにノッチ戻しと抑速ブレーキを備えているので中央本線や飯田線のような山岳路線も走行できる。
最高運転速度も急行形並の110km/h。実際走ると結構速い。尾張一宮ー木曽川の名鉄との並走区間ではパノラマカーと激しいデッドヒートを繰り広げていた。
国鉄民営化を目前に控えた1986(昭和61)年、それまで6連だった117系の4連化に伴い、ボルスタレス台車を備えた制御車100番代と200番代が増備された。
民営化後、激化する名鉄とのスピード競争で311系が投入されると117系は快速や普通運用に回され、帯色もJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色に変更された。
高校、大学時代になって盛んに乗り鉄を行うようになると東海道本線でよく乗った。
110km/hで爆走するときの主電動機と主抵抗器のブロワーの爆音がたまらない。
快速でこれに当たると嬉しかった。
1999(平成11)年、JR東海は次世代近郊形電車、313系を投入すると余剰となった117系が中央西線や関西本線にも一時的に乗り入れるようになった。
313系の投入によって中央西線からは103系と113系は一気に置き換えらた。
2000年代に入ると圧倒的に優れた走行性能を持つ313系によって117系も主に大垣ー米原などの閑散区間に追いやられ、名古屋周辺で見かけることも少なくなってきた。
晩年には1編成がデビュー当時の塗装に戻されたが2013年についにJR東海車は定期運用離脱。
翌年には廃車。
仕事の用事で関西本線を利用したとき、名古屋車両区で今まさに重機で解体されている姿をみてしまった。
リニア鉄道館にも3両のみ静態保存されていたが、これも数年後に解体。
JR西日本には残存しているのでもう一度乗りに行きたい。
名車、117系の思い出は一生忘れない。
また、今は模型鉄はやっていないが、最後に買ったのは117系だった。僕が持っているのは西日本車だ。
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鉄道、鉄塔ダブル撮り鉄&金色の稲穂の海に降り立つ青猫さん。
青猫出撃
イスラームと日本の冠婚葬祭 日本人ムスリムはどう対処すべきか?
日本人ムスリム共通の悩み
日本人改宗ムスリムにとって頭の痛い問題のひとつが日本での冠婚葬祭。結婚式は披露宴での食事も配慮してくれる事が多いのでまだいいとして、厄介なのは葬式だ。
多くの日本人が無宗教を標榜し、普段は宗教的に殆ど関心がないとはいえ、今だに仏式が日本人の葬式の主流である。
今回は日本人改宗ムスリムを対象に、そうした時の対処法をお話したい。
お役に立てれば幸いである。
主な対処法
1) 葬儀そのものに出席しない。
故人が友人や遠い親戚なら参列しないで弔電で済ませることもできる。
あるいは親族との関係が元々良くないのであれば逆にこの方法が逆に効果的ということもあり得る。
2) 先方に事情を話したうえで儀礼なしで参列のみ
相手に理解があれば遺族や葬儀社に事前に事情を話しておく。現在なら受け入れられやすいと思う。
3) 参列して儀礼を行ったうえでどうしても受けつけないと説明する。身内の場合はこれが一番効果的。
厄介なのは親族が保守的かつ親戚や地域の繋がりが強い場合。相手が参加しろとの一点張りで全く話が通じない場合である。
この場合効果的なのは最初の1回だけは誠意を持って参加する。
親の葬式だからだと周りに合わせて焼香をしたり拾骨をしたりする。
そうしたうえで『ごめんなさい。頑張ってやったけどどうしても受けつけないから次からは辞退させてください』
と頼むのである。
実際に私も母の葬儀の時に親だからと無理に焼香や収骨に参加したら気分が悪くなってしまい、周りから心配された。
流石に誰から見ても具合が悪そうだったのは明らかだったようで次回、父の葬儀の時には強制されることもなく、焼香や火葬場への同行もせずに参列することが可能になった。
その代わり、行政的な手続きや保険や年金、遺産などの整理や手続きは全部引き受けて介護や葬儀で疲れ切っている妹たちを支えた。
そういう形で僕なりの弔いをしたのだ。
最後に
最近は家族葬や宗教色を廃した葬礼も一般化しつつあり、日本人ムスリムの、ノンムスリムの冠婚葬祭に参加することへの抵抗も少なくなりつつある。
もしも自分自身が喪主に、それも改宗していない親兄弟の葬儀を執り行わなければならなくなった場合、直葬や家族葬という選択肢がある。
イスラーム世界では自分のもとにいる異教徒が亡くなった場合は故人が帰属するコミュニティにお任せするのが一般的だが、そうした身元引受人が不在の場合はムスリムが行うジャナーザ(葬礼の礼拝)を行わずにそのまま埋葬するのが普通である。
ムスリム墓地をはじめ、土葬できる墓地の少ない日本では、同じような状況ではノンムスリムの故人を火葬にせざるを得ないとしても、この方法は有効と思われる。
大切なのは相手が誰であれ、たとえ儀礼に参加できなくても故人への敬意と周囲への誠意と配慮である。
同調や迎合ではない。
お互いの立場の尊重である。
青猫ダムめぐりツーリング 木曽川 関西電力 大井ダム
電力王 福沢桃介が造った 重力式コンクリートダム
雄大な木曽川中流域恵那峡、切り立った岩肌と深い峡谷の中に突如として現れる巨大な大井ダム。
1924(大正13)年、関西電力の前身である大同電力の社長、福沢桃介によって造られた重力式コンクリートダムである。
堤体の高さは約53m
堤頂長 約276m
堤体積 151753立方メートル
湛水面積 141ha
総貯水容量29400000立方メートル
利用目的 発電
発電所
新大井発電所 1983年 32000KW
下流側から見た大井ダムと東雲橋
台風後の増水で洪水吐きから怒涛のような水が流れ落ちる。2021年9月撮影。
竣功当時から稼働している大井発電所
発電量52000KW/h。ここには写っていないがこの奥に新大井発電所がある。
ダム上流側から
ダム天端
フェンス内は立入禁止だが通路は通行可
ここから天端の上を歩くことができる
レトロな照明
恐らく竣功当時からのものだと思われる。
上流側に見える恵那峡大橋
右岸側にある恵那峡ワンダーランドに通じる橋
かつて、この橋の手前に恵那峡ロープウェイがあった。
ダム下流側 凄い赤さび
鉄細菌によるものらしい。
ダム天端部から見た大井発電所
ダム天端部から見た東雲大橋(上)と東雲橋(下)