213系5000番代の思い出

実はJR東海の車両の中では最も乗った回数が少ないのが213系5000番代である。

元々関西本線を根城にしていたこの車両、三重県方面に行くのは近鉄か、JRでも快速みえをよく使ったのでキハ75系の方がよく乗っている。

2007年以降、仕事でナガシマスパーランドやなばなの里へ応援に行くようになってからは、名古屋から桑名もしくは長島までの運賃が安い関西本線を使う事も多くなった。

しかし、その頃の関西本線はすでに313系が主役となっており、213系は数える程しか乗っていない。

でも僕はこの車両が好きである。

2ドア転換クロスシートはやはり3ドア車よりも座りやすいし、冷暖房がよく効くので夏涼しく冬暖かい。

しかしどうしても乗降に時間がかかるので近年ではどこの鉄道会社でも2ドア車は敬遠されている。

名鉄5300系、5700系のようにまだあと10年以上は使えるであろう車両が廃車になっていることからもうかがる。

あの古い車両を大切にすることで有名な名鉄が。

話を213系に戻すと、やはりご多分に漏れなかったようでトイレを取り付ける改造を施されたうえで飯田線に送られてしまった。

そうなると名古屋在住の僕はそう簡単に乗りに行くことはできない。

そうこうしているうちにJUST東海は国鉄末期〜JR初期の車両を数年間で置き換えると発表。当然213系もその対象だ。

これは早く記録しないといかんと思っていたら昨年、東海道本線で回送しますに遭遇。期せずして撮影成功。

しかし、飯田線を走る姿を留めておきたくてたまらなくなり、僕は飯田線沿線までバイクを走らせた。

悠山川橋梁では残念ながら撮影できなかったが、天竜峡大橋のそらさんぽという遊歩道に行くついでにダメ元で天竜峡駅へ行って見たら居るではないか。

しかもトップナンバーが!

早速愛バイク青猫さんとツーショット!

その日の戦果は上々だった。

 

 

 

 

211系0番代 2021年3月30日 名古屋駅にて。

211系引退発表 早めの撮影で名古屋駅に出撃

今から1年以上前、2021年3月30日の記録である。

JR東海から国鉄末期〜JR初期の車両が置き換えの対象になると発表があったので早めの撮影をと出撃。

名古屋駅関西本線ホームに進入してきた関西本線区間快速の211系0番代

特にJR東海最後の国鉄型車両211系0番代は先陣を切るのではと思われた。

 

急がねばという思いで名古屋駅へ。

 

同じ月の初め、JR貨物、愛知機関区のDD51ディーゼル機関車が定期運用から離脱したのは記憶に新しい。

 

DD51さよなら運転の時も沿線や駅に大勢の鉄道ファンが集まってごった返したので、211系0番代が引退するときもそうなるだろうと予測しての撮影だった。

車内の撮影

211系0番代、岐阜、大阪方面先頭車クハ211-7車内

基本的に5000番代と同じ。トイレ横の座席はトイレを利用する乗客と視線が合わないように配慮されて枕木方向に設置されている。

 

セミクロスシート ボックス部分

113系115系を踏襲するセミクロスシートだが、シート形状が改良されて座り心地が良くなっている。

トイレ横の小窓

トイレの小窓。これは従来の国鉄型車両からの踏襲。5000番代では廃止されている。

晩年は神領車両区所属

中央西線でもよく回送で見かけた。今となってはこれも貴重な記録。

おわりに

211系0番代は1986(昭和61)年、国鉄民営化直前期にデビューした。僕は当時小学校4年生だった。

 

5000番代と違い、乗った回数は多くはないが東海道本線でたびたびお世話になってきた

 

早いものでもう36年。当時は新車だった車両も次々と置き換えの時期を迎えている。

 

211系0番代は今年3月、この撮影を行ってから約1年後に引退、そして廃車となった。

 

こうした時代の流れによる車両の移り変わりは宿命である。

 

この記録が少しでもお役に立てればと思う。

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211系0番代の思い出

名古屋の211系といえば中央西線ロングシート車の5000番代が有名だけど、これも外せない。

1988年に登場した5000番代より前、国鉄分割民営化が目前に迫った1986年に東海道本線名古屋口に2編成のみひっそりと登場した。

外見は5000番代そっくりで性能もほぼ同じだがいくつか違いがある

1) 5000番代はロングシート、0萬代はセミクロスシート

2) 5000番代は助手席側フロントガラスが大きいが0番代は小さい。

3) 屋根上のクーラーは5000番代は箱型のインバータクーラーを車両1両につき2台、0番代はカマボコ型の大きなクーラーを1両につき1台搭載している。

4) 5000番代の補助電源装置(車内照明や制御回路などに供給する低圧の交流電源)は静止型インバータだが、0番代はブラシレスMG(インバータ制御による電動発電機)で回転部分を持つ。

5)5000番代と0番代では排障器(先頭車運転台側下部に付いている台車や床下機器を保護する装置)の形状が異なる。

6)運転台はどちらもデスクタイプ2ハンドルだが、5000番代は黒色、0番代は暗緑色。

7)その他。 

5000番代はドアの内張りはメラミン化粧板、0番代はステンレス板。

5000番代はトイレに窓はないが、0番代は楕円形の小窓がある。

5000番代の荷棚はステンレスパイプ製、0番代は金網

0番代の妻面貫通引き戸のガラスにはワイヤーが入っているが5000番代にはそれがない。

 

東海道本線名古屋口ではレアな存在で僕も数回しか乗ったことがない。昔は東海道本線にも5000番代が居たので紛れて余計に目立たなかった。

それだけに当たると嬉しかった。

1999年に東海道本線313系0番代や5000番代が投入されると一時的に0番代は中央西線に乗り入れていた。5000番代や311系313系との併結運転も見られた。

東海道本線名古屋口から211系5000番代が中央西線東海道本線静岡地区に移転して居なくなると0番代は目立つ存在となった。

さらにブレーキ増圧して台車にもヨーダンパが取り付けられて120km/h運転にも対応。

晩年には関西本線で余生を送るようになった。

そして、今年3月、211系0番代はひっそりと引退し、浜松工場に回送されて解体された。

こうして、JR東海最後の国鉄型車両は姿を消した。

今までありがとう!

 

 

 

対いじめ、パワハラ戦略 逃げることは恥ずべき事ではない。

逃げる事は恥ずべき事ではない

今回はイジメやパワハラ対策として『逃げる』という手段は有効であるという話をしよう。

 

相談に乗って力になってくれる上司や教師がいれば確かにこれ以上良い方法はない。

しかし、次の場合はどうすべきか?

相談しても誰も取り合ってくれない、
学校や会社で孤立している
精神的にも追い詰められて危機的な状況にある。

孫子の兵法にはある。

敵に対して戦力が圧倒的に劣っている場合は戦ってはならない。

次の場合だ

周りに味方がいない
敵であるパワハラ上司やいじめっ子がが強く、周囲も皆、彼らの言いなりで多勢に無勢。
自分自身に闘うだけの、あるいはそこで耐えるだけの精神的な余力がない。
性格的にも自信がない。また、何も言い返せない。

上に当てはまる場合は躊躇わずに逃げるべし。あなたの心が壊れてしまう前に。

そのままそこに居たら鬱病になってしまうか、最悪の場合は自殺に追い込まれてしまう。

もしあなたが学生なら、不登校や休学、中退もありだろう。

もしもあなたが社会人ならそんな職場は辞めてしまえばいい。

今後の経歴に響くとか、他に働ける場所がない。どうせ同じだ、無駄だと思うなかれ。

大丈夫。いくらでもやり直しは効くから。

失業保険や生活保護を受けようがニートになろうが構わない。公的な機関やカウンセラーや弁護士に相談すればいい。

 

もしもあなたがイジメやパワハラを受けている子供の親なら温かく見守って受け止めてほしい。

とにかく生きて力を蓄えて再起を図るのだ。自殺だけは絶対に駄目だ。

後に天下を取った名だたる武将も弱小だった頃は何度も逃げているのだ。

逃げたら傷ついたあなたの心を癒やすために休息し、好きな事をするのだ。

それから焦らずに自分のペースで立ち上がればいい。

自信を取り戻すためにあなたがすべきこと。

それは次回にお話しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羽津城山公園 撮り鉄スポットに隠された歴史

 近鉄の有名撮り鉄スポット、阿倉川近くの羽津城山公園

この跨線橋は公園内のものだけどまさかこんな歴史があるとは驚き。

現在の近鉄名古屋線はかつての羽津城址を南北に分断するように通っている。

この城は室町期、応永年間(1394〜1428)に田原盛宗によって築城された。

以後、6代近宗まで田原家の居城だった。

しかし、1572年に近宗は織田信長によって攻め滅ぼられ。

1584(天正12)年に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と織田信雄の和解によって廃城。

城の歴史は200年足らずで幕を下ろした。

江戸時代初期の一国一城令でも、明治初期の廃藩置県による廃城でもなかった。

1956(昭和31)年、四日市市の指定記念部になった。

今は公園になり、辛うじて土塁が当時の面影を残しているのみである。

跨線橋の上から

アーチ跨線橋の上

 

羽津城についての解説

城跡に建つ石碑

周辺の地図

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撮り鉄お役立ちガイド 近鉄名古屋線 阿倉川跨線橋

城跡を通る掘割にかかるアーチ跨線橋

写真 跨線橋をくぐるアーバンライナーNEXT 跨線橋北の踏切から撮影

ここも近鉄名古屋線の有名撮影地のひとつ。羽津城山公園という、室町期の城跡を通っている掘割にかかる公園内の跨線橋

阿倉川駅のすぐ北側にある。様々な車両が通過する跨線橋のアーチがあたかも額縁のようである。

写真 アーバンライナーplus 踏切から北側を撮影

 

写真 跨線橋の上から ふたつの跨線橋の間を通過する22000系

写真 跨線橋の上から南側を。30000系ビスタカー

交通

周辺は住宅地で建て込んでいるのでできれば電車を利用することをおすすめします。

最寄り駅の阿倉川駅から歩いてすぐです。

 

お願い

跨線橋北側の踏切は交通量が多いので、車や歩行者、自転車に注意して通行を妨げないようによろしくお願いします。

 

立ち入り禁止エリアでの撮影や迷惑駐車など、危険行為や迷惑行為はおやめください。

 

周辺の地図

中央西線第5木曽川橋梁にてEH200ブルーサンダー牽引石油返空列車撮影

先日、中央西線南木曽駅近くの木曽川橋梁へ貨物列車の撮影にいってきました。

雄大木曽川の峡谷にかかる緑色の曲弦ワーレントラス橋を渡る電気機関車とタキ(タンク車)。絵になります。

 

近くには中山道の宿場町、妻籠宿や、桃介橋などの名所もあります。

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