遠山家一万石苗木城跡

天然の要害に築かれた山城

先週末、青猫に跨って恵那峡の大井ダムへのダムツーリング、木曽路中央西線での撮り鉄の後、中津川の苗木城跡へ。

木曽川右岸の海抜432mの岩山に築かれた山城である。眼下を流れる木曽川恵那峡の谷ぞ個からの高さは約170m.まさに天然の要害といえる難攻不落の城である。

かつて天守があった山頂の巨石の上には展望台があり、ここからは恵那山、中津川市街地、木曽川などが一望できる。まさに絶景である。

苗木城の歴史

苗木城は元々、1532年の戦国時代に遠山家によって築城。遠山家は織田信長に仕えていたが、武田勝頼がこの地に進出してきたのでまさに最前線であった。

1583年、本能寺の変で信長が自害したあとに苗木城は森長可の軍勢に二度に渡って攻撃された挙げ句落城し、一旦城を奪われて川尻秀長の居城となった。

しかし、1600年の関ヶ原の戦いの後には遠山友政が城を奪還。以後、明治初めまで12代、遠山家が城主となった。

遠山家は石高一万石と、城持ち大名としては最も小さく、苗木藩の財政は苦しかった。そのため、本丸をはじめ城の建物の土壁には漆喰を塗ることもできず、赤土剥き出しだったといわれる。

領民も藩が貧しい事を知っていたので一揆を起こす者も居なかった。

1871(明治4)年、廃藩置県で苗木藩が廃止されると、苗木城は本丸を含めたすべての建物が取り壊されて現在は石垣が残るのみである。

それから110年後の1981(昭和56)年、苗木城は国の史跡に指定された。

 

様々な巨石や石垣

巨石

苗木城の特徴は何よりも天然の巨石をそのまま使用していることだろう。また、石垣も造られた年代によって、様々なものが混在している。

本丸跡の南側にある馬洗岩。籠城中に水不足に陥った時、城主が機転を利かせてこの岩の上に馬を立たせ、米をかけて馬を洗っているように見せて敵兵の目を欺いたと言われている。

石垣

未加工の石を使用したもの、削ったり切り揃えた石材を使用したものから様々なものが混在する。

おわりに

今回は苗木城の歴史と石垣、巨石を紹介した。次回は建物や門、井戸などの跡ついて解説したいと思う

 

乞うご期待!

 

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