113系の思い出
生涯乗車回数第2位
僕が最もよく利用した路線は中央西線で、乗車回数第1位に輝くのは211系5000番代。
そして第2位は恐らく113系である。
民営化以前の国鉄時代、北海道や九州を除く大都市近郊にはおびただしい数の113系が、山間部の地方幹線やローカル線には抑速ブレーキやノッチ戻し、耐寒耐雪構造の115系が居た。
中央西線も例外ではなかった。
母の実家である春日井の祖父母の家に行くのによく乗った他、高校、大学時代にも通学でお世話になった。
凄まじい爆音
名古屋地区に居たのはオリジナルの湘南色。俗にカボチャ電車と呼ばれる緑とオレンジ色の塗色である。元々は静岡のお茶とみかんをイメージしたものらしい。
その独特な風格といでたち、車内の匂い、そして床下から発せられる主電動機と、主抵抗器の冷却ファンの凄まじい爆音が懐かしい。
真冬の駅に止まった113系の主抵抗器の排熱がホームに吹き上げてくると暖かかった。
特に迫力ある走りを見せてくれたのは中央西線の快速だった。
大曽根駅を出発して矢田川橋梁を駆け抜けると築堤を下って新守山駅を通過。そして10‰の庄内川の築堤を凄まじい爆音とともに駆け上がって庄内川橋梁に突っ込んでいく。
主電動機の爆音と連結器や台車の軋み音、線路を踏み鳴らす強烈なジョイント音がプレートガーダーに響いて凄い迫力だ。
211系以降の車両では味わえない。
特に313系や315系はものすごく静粛だ。
さらに、高蔵寺駅から多治見駅に至る愛岐トンネルをはじめ、トンネルが連続する区間も凄い。トンネルに突入すると主抵抗器のブロワーの音が響いて話し声も聞こえない。
やはり乗り鉄、音鉄の醍醐味は爆音だ。
鉄道に興味のない一般客からすればタダの騒音に過ぎないのだが。
113系時代の終焉
JR化後、中央西線に211系5000番代が投入されても当分の間は113系は健在だった。しかし、1999年に313系が投入されると113系はまたたく間に淘汰されていった。
313系は圧倒的な走行性能、快適性、静粛性、エネルギー効率、どれをとっても113系を遥かに凌駕していた。快適な車両が来たことは嬉しかったし、確かに長時間の乗車でも疲れなくなった。
それは多くのファンでない利用者の感想と同じだ。
しかし、やはりそれまで馴染んだ国鉄時代の車両がなくなるのは寂しいものだった。
特に、DD51やEF65同様、あまり写真を撮っていなかった事が悔やまれた。
撮り鉄お役立ちガイド 明知鉄道飯羽間駅
明知鉄道とは
明知鉄道は1934(昭和9)年に開業した、中央西線大井駅(現恵那駅)から美濃三河高原を南下して明知駅に至る営業距離25·1kmの国鉄明知線を前身とした第三セクターである。
食堂車やSLの運行、気動車の運転体験(要予約)など、様々なイベントが開催される。
明知鉄道公式ホームページ
https://www.aketetsu.co.jp/
農村風景日本一 飯羽間駅
周辺は一面水田地帯が広がっている。農村風景日本一の駅として有名である。
写真撮影をするには駅南側の踏切付近から狙うと広い田園風景の中を大きくカーブを描いて走ってくる気動車を撮影することができる。
行き方
中央西線恵那駅から明知鉄道を利用する他、恵那から国道257号線を車やバイクで15〜20分程である。
https://www.aketetsu.co.jp/timetable/
周辺の地図
名鉄5500系の思い出
名鉄 5500登場の経緯
数々の名車を生み出した名鉄といえば7000系パノラマカーが有名。もちろんパノラマカーも大好きだったが脇役的存在で目立たなかった5500系はそれ以上に好きだった。
5500系は1959(昭和34)年デビュー。並走する国鉄の東海道本線全線電化が完了して間もない頃だった。
当時の国鉄は東海道本線の普通には80系電車、急行には153系、そして、20系(後の151系)こだまが続々登場してスピード化とサービスの向上が飛躍的に進んでいた。
名店もこれに対抗すべく、1955(昭和30)年に5000系というカルダン駆動の高性能車を、1957(昭和32)年には貫通型タイプの5200系を登場させた。
日本初の大衆冷房車
そして1959(昭和34)年、ついに5500系誕生。5000系と同じ転換クロスシートなどの質の高い車内に加え、特別料金不要の車両としては初の冷房装着の搭載。後のパノラマカーの基礎になった。
1961(昭和36)年に7000系パノラマカーが登場して最高速度が110km/hに引き上げられると5500系も110km/h運転を開始。
これは特急こだまと同等で、新幹線開業以前の日本では最高レベルであった。
5500系はパノラマカーとともに冷房と高速運転で日本のトップに立ったのであった。
1964(昭和39)年の新川工場の火災で5509編成が焼けるという受難も。損傷の激しかった先頭車も修繕されて復帰。
高校、大学時代に多く乗車
通学や、休日の乗り鉄ではたびたびお世話になった。その時点ですでに登場後30年以上経過していたが、古い外見とは裏腹の優れた高速性能。名鉄の優等列車は皆そうだが、起動加速度はゆっくりでも最高速度への到達時間が早い。
それにあの甲高い主電動機の音が好きだった。
これに当たると嬉しかった。
特にお気に入りの乗車位置は、パノラマカーと連結したときの連結面付近だった。
5500系の引退、廃車
2000年代に入ると廃車が始まって徐々に運用が狭められていった。老朽化に加え、2ドア車はどうしても乗り降りに時間がかかるのと、3ドア車と乗車位置がずれるので駅係員の客扱いも大変だ。
それに抵抗制御で回生ブレーキを持たない5500系やパノラマカーは消費電力も多くエネルギー効率が悪いのも否めなかった。2200系特急車やステンレスの3ドア車、3300系や3150系が登場すると5500系は急速に置き換えられていった。
それでも40年以上頑張った。
晩年にはデビュー当時の塗色に戻された編成も登場。
2005年、5500系はついに全編成が引退し、46年の歴史に幕を下ろした。
これもまた僕の記憶に永遠に残り続けるだりう。
117系の思い出
117系は僕が最も好きな国鉄型車両のひとつである。JR西日本車とJR東海車があるが、ここでは東海車について書きたいと思う。
東海道本線名古屋口に117系が登場したのはまだ私が幼稚園位の頃だった。国鉄時代の当時、岐阜ー豊橋は殆ど名鉄の独壇場で花形の7000系パノラマカーが大活躍していた。
そんな中、老朽化した153系の後継車として東海道本線名古屋地区に投入されたのが117系だった。
クリーム色の車体に茶色の帯。特急電車みたいでかっこよかった。
近郊形ながら2ドア転換クロスシート。空気ばね台車のDT32、TR69を装備して乗り心地も上々。115系や165系のようにノッチ戻しと抑速ブレーキを備えているので中央本線や飯田線のような山岳路線も走行できる。
最高運転速度も急行形並の110km/h。実際走ると結構速い。尾張一宮ー木曽川の名鉄との並走区間ではパノラマカーと激しいデッドヒートを繰り広げていた。
国鉄民営化を目前に控えた1986(昭和61)年、それまで6連だった117系の4連化に伴い、ボルスタレス台車を備えた制御車100番代と200番代が増備された。
民営化後、激化する名鉄とのスピード競争で311系が投入されると117系は快速や普通運用に回され、帯色もJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色に変更された。
高校、大学時代になって盛んに乗り鉄を行うようになると東海道本線でよく乗った。
110km/hで爆走するときの主電動機と主抵抗器のブロワーの爆音がたまらない。
快速でこれに当たると嬉しかった。
1999(平成11)年、JR東海は次世代近郊形電車、313系を投入すると余剰となった117系が中央西線や関西本線にも一時的に乗り入れるようになった。
313系の投入によって中央西線からは103系と113系は一気に置き換えらた。
2000年代に入ると圧倒的に優れた走行性能を持つ313系によって117系も主に大垣ー米原などの閑散区間に追いやられ、名古屋周辺で見かけることも少なくなってきた。
晩年には1編成がデビュー当時の塗装に戻されたが2013年についにJR東海車は定期運用離脱。
翌年には廃車。
仕事の用事で関西本線を利用したとき、名古屋車両区で今まさに重機で解体されている姿をみてしまった。
リニア鉄道館にも3両のみ静態保存されていたが、これも数年後に解体。
JR西日本には残存しているのでもう一度乗りに行きたい。
名車、117系の思い出は一生忘れない。
また、今は模型鉄はやっていないが、最後に買ったのは117系だった。僕が持っているのは西日本車だ。
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中央西線第5木曽川橋梁にてEH200ブルーサンダー牽引石油返空列車撮影
先日、中央西線南木曽駅近くの木曽川橋梁へ貨物列車の撮影にいってきました。
雄大な木曽川の峡谷にかかる緑色の曲弦ワーレントラス橋を渡る電気機関車とタキ(タンク車)。絵になります。
近くには中山道の宿場町、妻籠宿や、桃介橋などの名所もあります。
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近鉄一般車の思い出
僕が最も好きな私鉄のひとつが近鉄だ。
昔から伊勢志摩方面や関西方面に行くのによく乗った。
ビスタカーやスナックカー、アーバンライナーなどの花形特急車はもちろん、急行や普通で使われる一般車もまた然りである。
実を言うと、近鉄一般車は似たようなデザインであるうえに形式の区分が複雑で僕もよく知らない。
それでもこのデザインのセンスの良さは気に入っているし、何よりも、50年近く走っているのに古さを感じさせない。
それに走ると結構速い。
しかし、70年代の車両もあと2、3年で置き換えの対象になると近鉄から発表があった。
これもまた撮っておきたい。
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