イスラームとの出会い。入信に至る道のり その1

#アッラー#聖典クルアーン#ムスリム#イスラーム

慈悲深く慈愛遍くアッラーの御名において

自己紹介のところでも少し触れたが、私は日本人では珍しいムスリム(イスラーム教徒)でもある。今年は入信20周年という節目であることから、私のイスラーム信仰生活についても少しずつ紹介していきたいと思う。今回は第一回ということで私がイスラームを知り、イスラームに導かれるまでの話をしよう。

私の実家は元々はごく一般的な仏教徒浄土真宗の檀家であった。父方の祖母や、母方の祖父は昔の人間らしく、とても信仰に篤く、私は宗教のある環境で育った。

幼稚園はカトリック系で、そこでも神や聖書やイエス・キリストについての話を聞き、西洋の一神教の価値観にも触れることとなった。
それらの経験が後にイスラーム入信に至る上で大きな意味を持った事は間違いない。

しかし、一方ではどの宗教も善を勧め、悪や欲望を戒める教えは正しいと思っても、じゃあ実際に何をしたらいいのか分からず、明らかに理屈に合わない非合理的な迷信との区別がなされていなかったり、何よりも、実際の教えと行動との矛盾を感じていたりもした。


イスラーム聖典クルアーンアッラーの言葉から成っている。

欲望を戒めていながら現世利益的だったり、神や仏の教えと人間の世間の常識の区別がなされていないことに疑問を持ってもいた。

小学校に上がると、学校で理不尽な目に遭うことで世間や人間の価値観にも疑問を持つようになったのと、合理的かつ論理的な自然科学に傾倒していき、それが真理だと思うようになっていつしか宗教を否定するようになっていった。それが中学生時代まで続いた。

さて、そこで初めてイスラームという言葉を知ることになる。地理の授業で中東について習った時の正直な感想は、礼拝や断食の義務、飲酒や豚肉の禁止、4人妻などで、教科書通りに受け取れば厳しいだけでつまらない宗教にしか見えなかった。

更に悪い事に折から始まったイラクによるクウェート侵攻が発端となった湾岸戦争で宗教のせいで戦争が起きるのだと鵜呑みにし、こんな宗教など地球上から消えてしまえばいいとさえ思った。イスラームについては全く知らず、ましてや本物のムスリムに会った事もなかったので当時の偏った報道ならそう思うのは無理もないことではあったが。

ところが、高校一年の夏休みに思いがけない出会いがあった。そう。初めて本物のムスリムと出会ったのである。

今回はここまで。続きはまた次回。インシャラー(神がお望みなら)

岐阜マスジドにて、愛車青猫さんとともに。

イスラームについての入門書におすすめ

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