イスラームとの出会い 入信に至る道のり その2

#アッラー#ムスリム#イスラーム
بسم الله الرحمانالرحيم

慈悲深く慈愛遍くアッラーの御名において

高校一年の夏休み、初めて家族でヨーロッパを旅行した。わずか10日程ではあったが、各地を鉄道で移動中、スイスのベルンに向う列車で偶然同じコンパートメントに乗り合わせた人がそうだった。

彼はシリア出身のアラブ人がで非常に知的かつ物腰が穏やかな紳士だった。何故か日本に一度も行ったことがないのに流暢な日本語を話し、ベルンに着くまでの間、私たち家族は色々な話でとても楽しい時間を過ごした。

ちなみにアラビア語の文法についての話も少ししてくれて、アラビア語の単語には単数、複数形の外庭、ふたつであることを表す双数というのがあるのもその時に知った。

イスラームの事を話したわけではなかったが、別れる時までにはテレビのニュースで放送される過激で恐ろしいイメージはすっかり消えていた。

ベルンに着いた時、彼は『今日はどこに泊まるのか?』と聞いてきたので『まだ決まっていません』と答えたら途中で降りてくれて泊まるところを探してくれたうえに、何と、フロントで交渉までしてくれた。

とにかく言葉では言い表せないけど、今まででこれほどまでの人を見たことがなかったので非常に感銘を受けたのであった。

さて、帰国して夏休みが終わると夢から醒めたように日本の学校生活に戻ってきた。高校は小中学校よりは良かったが、それでも元々学校嫌いな私には窮屈だった。校則も緩やかで先生方をはじめ良い友達や先輩後輩に恵まれたとはいえ、当時の日本は今以上に集団への同調圧力が強いのはうんざりしていたし、人間や世間中心の価値観にはどうしても馴染めなかった。

その時にはイスラームは選択肢にはなかったが、やはり心の拠り所と行動原理となる何かが欲しかった。既存宗教ではもの足りず、新興宗教は胡散臭い、かと言って唯物論も違うし、一体何を信じれば良いのだろうか?

やがて3年生になった。

私の母校では主な進路は文系大学か専門学校、就職が殆どで、理系大学を目指す学生は稀だった。私は無謀にも鉄道関係の技術者を目指して理系志望だったが当時の私の学力では不可能に近かったので勉強は本当に苦労したし、そのために周囲から孤立もした。結局一浪したものの、受験科目を絞って苦戦の末なんとか志望校に合格。

そしてその後間もなく大きな転機がまた訪れるとはその時には想像もつかなかった。


続きはまた次回。インシャラー。