イスラームとの出会い 入信への道 その4

#イスラーム#ムスリム#ムハンマド#使徒

至高なるアッラーの被造物である美しい自然。

そんな時、私の人生では最大のショックを受ける出来事が突然起こった。

それはサークルの先輩であり、よき友人でも合った人が自ら命を断ったのである。

よくお互いの家を行き来し、一緒に旅行もしたことがあり、よく親身になってくれた人だった。真相ははっきりしないが、大学院修士課程に進んだあと、指導教官との折り合いが悪く、今で言うパワハラめいた扱いを受けていた事は聞いている。

私はしばらく立ち直れなかったが、この出来事により、死について、死後の世界について考えるようになった。同時に自分はどんなに辛くても決して自殺しないと強い決意を固め、彼の分まで生きて幸せになろうと心に決めた。

実は私も勉強についていけず、留年までしてしまい、かなり追い詰められていた。このままでは彼のと同じ運命を辿ってしまうという危機感から本気で将来を模索しはじめた。

もう絶望的な位単位を落としていたので卒業は諦めて別の道を探るべく、辞める事を前提に図書館に入り浸って専門とは全く違った勉強を始めた。どうせ辞めるんならできる限りの知識と情報を持ち出して、タダで退学する気はなかった。

歴史から自然科学、文学、宗教書などを片っ端から読みあさった。

先輩の死によって心の拠り所と生きる指針となる宗教を消去法で探していった。

私は恩師であるクリスチャンの教授の教えと本から得た知識をもとに、自分が帰依すべき信仰の基準をいくつか拾い出してみた。次の通りである。

1 長い伝統と歴史を持つこと。新興宗教は除外

2 世界的に普遍的な教えであること

3 現世利益や金集めと無縁であること

4 偶像崇拝や人物崇拝をしないこと

5 一貫した基準があり、教理が合理的かつ論理的で行動規範が明確であること。


この基準を元に世界宗教(仏教、キリスト教イスラーム)の他にヒンドゥー教ユダヤ教も含めて消去法で絞り込んでいった。

結論。この条件を全て満たすものはただひとつしかない。イスラームだ。

最も多く基本的かつ根源的なイスラームの押し絵とは『アッラーの他にはなく、ムハンマドアッラー使徒である。』

つまり、姿形を持たず、時間や空間を超越したすべての創造主であるアッラーのみを崇拝の対象とすることで、いかなる物も人物も決して崇拝の対象とはならない。ここまで徹底している宗教は他にない。

ムハンマドアッラーの教えを人々に伝えるひとりの人間に過ぎず、その彼ですら崇拝の対象とすることは許されない。

さらに礼拝や斎戒などの義務も、そのやり方は明確に定められており、崇拝の方法論間で確立されているではないか。

これは凄い

私はイスラームに急速に惹かれていった。

でもどうやって?

周りにイスラーム教徒など誰もいないしどうしたら良いのだろうか?

丁度、その頃、父が旅行でトルコに行ってきた。お土産や写真を見てイスラーム世界への関心は急速に強くなっていった。

そして私は大学をやめた。

続きはまた。インシャラー。